白馬岳登山記

2011年8月2日~3日

■8月1日(月)■
 昨夏、槍を下りながら次は白馬岳だと同行の妻と語り合った。

 1年間何らトレーニングをすることもなく過ごし、この日を迎えた。いや、事態はそれ以上に悪かった。5月19日に左膝を痛打し、3週間かかって外傷が癒えた後、膝頭辺りに違和感が残った。果たして登れるのだろうかという不安を抱えたまま、栂池高原に着いた。
 リフトとロープウェイを乗り継いだ先が栂池自然園で、入り口に建つ栂池ヒュッテが今宵の宿だ。標高1800m余の自然園は平日にも拘わらずハイカーで賑わっていた。山の天候は急変しやすく、3時過ぎからは激しい雨になった。

■8月2日(火)■
 午前5時、窓の外は濃い霧に包まれていた。この期に及んでなお、登るか温泉巡りに変更するか決めかねていた。外へ出て雨が降っていたら止めようということにして、取り敢えず出発準備にかかった。
 フロントで朝食のおにぎりを受け取って外に出ると、乗鞍が見えている。6時14分出発。
 ビジターセンター手前から登山道に入ると、いきなりドロ道になった。階段状の急な斜面をひたすら登り、7時40分、天狗原に着いた。天狗原は標高2204mの湿原で、木道が敷かれている。池塘の畔のヒオウギアヤメは花期の盛りが過ぎていたが、水面には斑に雪を残した山姿が映し出されていた。

登山道入り口 階段状のドロ道が続く キヌガサソウ ゴゼンタチバナ
ウメバチソウ ヒオウギアヤメ ミヤマリンドウ
チングルマのワタゲ 天狗原の池塘
 天狗原の木道を過ぎると乗鞍岳への急登が始まる。安山岩の大石が積み重なる急坂がこれでもかというくらい続いている。途中、雪田を渡り、9時5分、やっとの思いで乗鞍岳頂上に到着。標高2436.7m。ここから標高2380mの白馬大池山荘まではゴロゴロした岩の下りになる。眼下に大池を眺めながら下っていくと、ガスの切れ間から真っ赤な山荘が見え隠れする。9時50分、山荘着。出発から3時間40分が経過している。おにぎりの残りを頬張り、しばし休憩。
乗鞍岳への登りが始まる 巨石の急登が続く 雪田を往く チシマギキョウ
眼下に白馬大池と大池山荘が見える ハクサンイチゲの群落
 白馬大池山荘の前に広がるお花畑の中を登り、ハイマツ帯を抜けると雷鳥坂の尾根に出る。ここから船越ノ頭への登りはダラダラと結構長い。ここからは小蓮華山、白馬岳へと続く縦走路だ。
 船越ノ頭の少し先で擦れ違ったご夫婦が、200mほど先の谷あいにライチョウがいると教えてくれた。教えられた辺りに1羽の母鳥と3羽のひな鳥がいた。しかも、谷あいから登山路寄りにうんと移動していた。そして、ついにひな鳥は登山路まで来しまった。母鳥との距離もほんの数mしかない。興奮を抑えながら夢中でシャッターを押した。そのすぐ先でも別の成鳥に出会ったのだが、それはまさに登山路上であり、手が届く距離に憧れの姿があった。濃いガスのため山の眺めは利かなかったが、そのおかげで雷鳥に会えたのだから、感謝しないといけない。
ライチョウの子ども 手を伸ばすと届く位置にライチョウがいる
 咲き競う高山植物を愛でながら小登降を繰り返し、12時12分、標高2766mの小蓮華山通過。13時2分、三国境着。標高2751mのこの地は、新潟県・富山県・長野県の県境で、今までは新潟と長野の県境を歩いていたのが、ここからは富山と長野の県境を歩いて行くことになる。その県境を少し行った右手、富山側の斜面にコマクサの大群生地が広がっている。さらに馬ノ背と呼ばれるヤセ尾根を登り切ると、やがて標高2932mの白馬岳頂上だ。13時57分。360度の大展望のハズなのだが、雨が降ってきた。急ぎ合羽を着て、標高2832mに建つ白馬山荘を目指して100mを一気に駆け下りた。谷風とともに吹き付ける雨は冷たく、右手が痺れるようだった。14時15分、出発からおよそ8時間を要しての到着だ。
チシマギキョウ イワツメクサ イブキジャコウソウ タカネナデシコ
タカネヤハズハハコ ミヤマキンポウゲ ハクサンフウロ エゾシオガマ
ヨツバシオガマ コマクサ コマクサ
ヨツバシオガマ タカネシオガマ 馬の背はさらにこの上だ 白馬山荘
 白馬山荘は1000人以上が泊まれる大きな山小屋で、畳が2枚っきりの個室を予約していた。まずはお約束の生ビールで、無事の登頂に乾杯した。時折止み間はあったものの、遠くの山並みを望むことは叶わず、夜の帳が下りていった。
■8月3日(水)■
 午前4時、高い位置にある窓の外が白んでいる。僅かな期待を込めて窓を開けると、やはり深い霧だ。14時以降雨の予報も出ている。準備を整え、弁当を受け取り、5時30分、下山の途に就いた。
 歩き始めてしばらくすると霧が晴れ始め、白馬岳の頂上に着いた時には遠く鹿島槍を望むことができた。しかし、馬の背を下る頃にはガスに包まれていた。幸運というのは予測不能なもので、西側の谷の深い霧に東の空から朝の斜光が射し込む瞬間が生じた。光輪の中に自分の影が映し出されるブロッケン現象だ。思わず手を合わせたくなるような幸運である。
旭岳に白馬岳が影を落としている 朝露が宝石のように輝いていた
手前が白馬の岩峰、杓子岳、鑓ケ岳、最奥の双耳峰が鹿島槍ヶ岳 ブロッケン現象は神々しささえ覚える
 怪我で膝の状況が変わったのか、強力なサポーターのおかげなのか、いつもの左膝の痛みは出なかった。無意識のうちに左をかばっているのか、右膝の上にいつもとは違う痛みが出たが、それはいつもとは比較にならない程度のものだった。乗鞍岳からの巨石下りには正直疲れたし、終盤のドロ田状態には閉口した。それでもなんでも8時間後の13時30分には栂池ヒュッテの前に立っていた。
 ロープウェイで麓に下り、そこから車で2時間半。めざすは福地温泉。山のいで湯に身を沈め、冷えたビールに舌鼓を打てば、束の間の夏休みが終わる。